高校生の頃からモデルとして芸能活動をスタートさせ、
俳優・映画評論家・クリエイター・映画監督と様々な顔を持つ斎藤工さん。
また覆面芸人「人印(ピットイン)」としてNSCに入学した過去を持ち、
R-1ぐらんぷりに出場したこともある、変わった経歴を持つ人物です。
そんな斎藤工さんですが子供の頃や学生時代はどんな人物だったのでしょうか?
今回は斎藤工さんの
学歴は?
学生時代のエピソードは?
以上について調べていきたいと思います。
斎藤工の学歴|出身校一覧
- 小学校・・・東京シュタイナーシューレ
- 中学校・・・世田谷区立梅丘中学校
- 高校・・・・日本学園高校
- 大学・・・・進学せず
斎藤工さんの出身校は上記の学校が噂されています。
下記で詳しく見ていきましょう。
斎藤工の学歴|小学校時代
出身小学校・・・東京シュタイナーシューレ(現シュタイナー学園初等部)
この学校の出身であることは同校のインタビューで明らかにしているので、間違いないでしょう。
斎藤さんが在籍した時代には東京の三鷹市などにありましたが、
現在は神奈川県の相模原市に移転しています。
聞きなれない「シュタイナー教育」とは
一般的に個性を重視し、感性を伸ばし、考える力をつける教育とされていて、
学校だけではなく、家に帰ってからもテレビやキャラクターものは禁止するなど、
徹底された教育とされています。
参照元 デイリー 斎藤工「シュタイナー教育」受けた少年時代 初めてのポテチに衝撃
幼少時代のエピソード
斎藤さんは上記の学校で幼少期から親の意思でシュタイナー教育を受けていますが、
当時は学校に行くのが嫌でしょうがなかったようです。
基本シュタイナー教育を受ける生徒は少ないらしく
斎藤さんの記憶が幼く曖昧であったこともあり、
同級生が7人とか、全校生徒は5~6人とか、とにかく少なかったようです。
通学は姉と2人で電車に乗って通っていたそうですが、
東京の通勤ラッシュでもまれることで、
乗り過ごしたり、降りる駅を間違えたり、通うだけで大変だったことも。
自宅ではテレビは見れず、美術館やコンサートによく連れて行かれ、
服装も柄物は着れないなどの制約があった幼少時代だったそうです。
学校での経験
斎藤さんはこのシュタイナー教育の学校で経験したことでオイリュトミーと呼ばれる
(ルドルフ・シュタイナーによって創造された運動を主体とする芸術)は
特に印象に残っているようで、衣装を自分で作り、自分のカラーを緑にして実践し、
それからは何の授業でも、何をするにしても、緑が自分のイメージカラーとなったようです。
演劇も「ういろう売り」や「ヤマタノオロチ」を経験していますが、
人前で何かやるのが苦手だったこともあり、月例祭で演じることが嫌でしょうがなかったそうです。
現在は俳優をやっていますが、この苦手意識は今もあるようで、
劇を作り上げていくプロセスの方に、圧倒的な魅力を感じているのだそうです。
校外学習でも米作りをし、自分たちで育てたものを収穫し、
販売までしたことはいい経験になったみたいですよ。
家でも教育の徹底
自宅でもシュタイナー教育は徹底されていたので、おやつは「いりこ」や「玄米パン」でしたが、
小学校4年生の時に初めて、ポテトチップスに出会った時には
あまりのおいしさに膝から崩れ落ちるくらいの衝撃だったそうですよ。(笑)
色々制約はありましたが、地元のサッカークラブには入っていたので、
他の学校の生徒とは接点はあり、そこで見た漫画や、ゲームは羨ましく、
またお菓子や初めて食べたカップラーメンのおいしさには感動し、
親を恨んだりしたこともあったそうです。(笑)
転校先での衝撃
斎藤さんは小学校卒業直前に
サッカーの強い地元の公立中学に進学したいと考えから
地元の公立の学校に転校をしていますが、
シュタイナー教育で育ってきた斎藤さんには公立校の教育制度には衝撃が強かったようです。
今までと違ってクラスの人数は多く、勉強方法も違い、
点数を付けられることも今までに経験したことがないことでした。
対人関係も今までは家族を含めた密であったものが、
一定の距離を置いた付き合いとなることが普通で戸惑ったそうですよ。
そんな中でも芸術教育を受けていないのに、「リア王」を何度もよみ、
好きなことに没頭している女子がいるなど、斎藤さんよりシュタイナー的な子がいることや、
すごく可愛い女の子やカッコいい男子がいることに衝撃を受け、
自分は何者になれるのか、よく考えていたそうです。
転校先での親友との出会い
斎藤さんが転校したことで一番苦労したことが人間関係で
転校初日の紹介された時には部外者感を強く感じていたのだそうです。
ただそんな時に救ってくれたのが、
最初に話しかけてくれた生徒でしたが、その生徒は南米で育った経験があり、
誰とでもコミュニケーションが取れ、今でも斎藤さんとは親友なんだそうです。
そんな彼のおかげで、転校先の学校でも馴染むことができたそうです。
参照元 学校法人シュタイナー学園 卒業生インタビュー 斎藤工さん(2期生)
斎藤工の学歴|中学校時代
出身中学校・・・世田谷区立梅丘中学校
この学校の出身であることは思い出のコミュニティサイト「思い出こみゅ」に
掲載されていることから有力ではないかと思われます。
中学時代のエピソード
中学に進学してからは好きなサッカー漬けの毎日でした。
またサッカーリーグを見るのが大好きでもあり、
斎藤さんは前身の日産自動車から横浜F・マリノスの熱狂的大ファンでもありました。
中学からはテレビや漫画が解禁されたこともあり、
漫画『ろくでなしBLUES』でメンバーがモチーフとされた
ロックバンド「ブルーハーツ」には影響を受けています。
学校生活
学校の担任の先生は厳しく「暑い日に男子生徒を校庭に並べ、ビンタをしていた」など
「リアルGTO」と表現するほどでした。
また中学時代は女の子と一緒に帰るのが最大のイベントと振り返っていて、
憧れの先輩と話したことなど、そんな些細なことが強く印象に残っているそうです。(笑)
俳優を志す
この頃から斎藤さんは映画の世界に興味を持ち始めます。
好きな作品はありましたが、父親から『仁義なき戦い』を勧められ、渋々見てみると、
それが面白く、どんな映画にもルーツがあることに気づかされ、
映画全般を見るようになったのだそうです。
そして、以前から映画の仕事をしていた父親の現場についていっていたこともあり、
映画に関わる多くの人の存在や、製作までの過程を見て、
最後のエンドロールに流れる名前には魅力を感じていました。
なので、そこに流れる父親の名前はカッコよく憧れたそうです。
なので、当初は映画製作を考えていて、シナリオを描いたりしていましたが、
出演者として関わる道もあると思って俳優も考え始めました。
参照元 学校法人シュタイナー学園 卒業生インタビュー 斎藤工さん(2期生)
livedoor 斎藤工 中学時代に教師にビンタされた過去明かす
週刊女性PRIME 斎藤工、私生活では料理男子になっていた「料理って映画に通じている」
斎藤工の学歴|高校時代
出身高校・・・日本学園高校
この学校の出身であることは同校の同窓会サイトで紹介されているので有力ではないかと思われます。
高校時代のエピソード
高校に進学してからも映画の探求は進んでいて、
ビデオ店に並ぶ映画を「あ」行から見始め、
すべて制覇するというエピソードもあるほど、のめり込んでいました。
高校が男子校であったため、周りに女子がいなくて刺激がなく、
それも映画に没頭する環境になった要因でした。
時には映画の中のヒロインに恋することも。(笑)
先述したように、斎藤さんは映画に関わることを目標としていたため、
その足掛かりに高校一年生の時にモデルデビューをしています。
映画界に入る方法が当時は分からなかったため、
ファッションという世界は映画界とつながりがあるのではないかと思い、
自ら出版社に連絡をし、モデル事務所を紹介してもらっています。
海外を飛び回る活動
モデルと言っても斎藤さんは普通のモデルとは一味違っていて、
高校1年生の春休みになるとバックパッカーを兼ねて世界のモデル事務所を訪ね、
所属させてもらってオーディションに挑戦する日々というもとだったそうです。
そんな旅は過酷なもので、香港やパリを現地でモデルのオーディションを受けて旅費を稼ぎながら旅
を続けていましたが、荷物を盗まれる被害にあったこともありました。
パリでは仲良くなったカップルのトラブルにも巻き込まれ、ガラの悪い相手方に連れ去られたことも。
郊外で、穴を自分で掘らされて最期を覚悟しましたが、
その穴にパスポートなどの荷物を投げ込まれると、ジョークと分かり、釈放されるエピソードも。
こんな経験があるからこそ、今では「余生」と考えることもあるみたいですよ。(笑)
モデルとしての成功
上記のような経験を経ながら、
『MEN’S NON-NO』や『POPEYE』などで「TAKUMI」の名前でモデルとして活躍をし、
高校3年生の時にはパリ・コレクションに出演しています。
その頃には写真家レスリー・キーと出会い、20年以上の親交となり、
斎藤さんにとって現在の場所に連れてきてくれた人物と語っています。
参照元 MBSコラム 斎藤工「その出会いがあって、今がある」生き方を変えた1冊の書籍とは
techinsight 【エンタがビタミン♪】「ある意味、今は余生…」。斎藤工が“殺される”と分かったパリでの出来事を語る。
cinematoday イケメンなのに映画オタク過ぎ!斎藤工がディープな映画愛トーク!筋金入りのマニアになったのは男子校生活の影響?
異性とのエピソード
斎藤さんは高校時代にモデル事務所に所属をしていますが、
その関係の10歳年上の人と自分から告白をし、初めて交際をすることとなります。
大人の世界が刺激的で、カッコよく映っていたのだそうですよ。
その他にも交際経験は多数あるようで、中には振られたことも沢山あるのだとか。
原因は齋藤さんの嫉妬が行き過ぎることがあるそうですよ。
高校生の合コン
高校時代には合コンにも挑戦したことがあるようで、自ら主催したことも。
お金がない高校生のため、
受付で名前を書けば無料で和室が借りることができた公民館が開催場所でした。
ただ、ライバルもいたそうで、
商店街の組合が名前を書くために早めに行って備えていたそうですよ。(笑)
合コンでは自分が言っちゃいけないワードをおでこにつけて、
それで会話し続けるゲームなどで楽しんでいたようです。
参照元 Smart FLASH 斎藤工、高校1年で合コン主催「お金がないから公民館で」
マイナビニュース 斎藤工、過去の恋愛を告白 – 振られたことも「バリッバリあります」
大学には通っていない
斎藤さんは高校卒業後、映画の専門学校を目指していましたが、
父親に「映画は机の上で学ぶものじゃない、お前は一刻も早く現場に出ろ」と言われ
その現場に出るというものがモデル活動に繋がっているようです。
そして高校時代より代々木上原の伊藤正次演劇研究所(現Ito・M・Studio)にて演劇を学んでいます。
参照元 crea 話題の二枚目・斎藤工は かなりディープな映画青年
斎藤工の学歴|斎藤工プロフィール
斎藤工の学歴|まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は斎藤工さんの学歴と学生時代のエピソードについて解説してきました。
様々な顔を持つ斎藤さんはこれからの活躍も楽しみな存在です。
さらなる飛躍を期待しつつ注目してみていきたいですね。
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