シンガーソングライターで、いま俳優として注目度の高い松下洸平さん。
近年はドラマに出演が途絶えることがなく、活躍が話題となっています。
松下さんは、優しく、誠実そうなイメージですが、実は学生時代はかなりトガたそうですよ。
高校時代にダンス部を創設して、積極的に活動していたのはいいのですが、、、、。
今回はそんな松下さんの
学歴は?
学生生活は?
以上について調べていきたいと思います。
学歴
小学校・・・八王子市立秋葉台小学校(思い出こみゅ)
中学校・・・八王子市立甲ノ原中学校(思い出こみゅ)
高校・・・・都立片倉高校(ちゅうがんじたかむ)
専門学校・・東京ミュージックアンドメディアアーツ尚美(現尚美ミュージックカレッジ専門学校)
松下さんの出身校は上記の学校が噂されています。
小・中学校に関しては根拠となる情報はありませんでした。
高校は同級生である中元寺隆夢が同校出身ではと言われていることから推測されているようですが、
確証はありませんでした。
専門学校は卒業生の紹介で乗っているので、間違いないと思われます。
幼少期
松下さんの幼少期は田舎育ちで、家の中でゲームをするよりかは外で、遊ぶ方が多く、
近所の山に行っては傷だらけになって帰ってくるような手のかかる子供であったようです。
木登りも登れるところまで登ったはいいが、降りれなくなり助けを呼ぶこともあったそうですよ。(笑)
他にも子供らしい一面もあり、
クリスマスではサンタさんから“ミュータント タートルズ”のおもちゃをもらった時には、
余りにも嬉しすぎて、翌日には近所をまわってインターホンを鳴らして自慢をするという
大迷惑なエピソードもあったようです(笑)
参照元 日テレNEWS 松下洸平「うれしすぎて近所のピンポン押して…」 クリスマスの思い出明かす
中学
中学時代には思春期である故、恋の話もあったようです。
松下さんが好きな女の子にラブレターを書いて下駄箱に入れて、返事を待ったことがありますが、
残念ながら、その子から返事をもらうことは叶わず
中学生時代はずっと心に引っかかっていたようです。
後にテレビで活躍するようになってからはSNSにその子の母親から連絡はあったようですが、
肝心の本人からの返事はもらえていないままだそうですよ。(笑)
何も連絡をしないところに現実を感じますよね。(笑)
高校
松下さんは高校に進学してからは比較的派手な学生生活だったようで、
態度もトガっていたそうですよ。(笑)
これぐらいの年代であれば多くの人がそうでないかと思われますよね。
高校時代には中学の時からやっていたダンスを続けたくて、友人2人で、ダンス部を創設しました。
一年間活動したのち、2年生になった時の部活紹介でパフォーマンスをしたところ、
大勢の女子学生が入部を希望して殺到したそうですよ。
これで調子に乗ったかどうかはわかりませんが、後に友人が当時の状況を説明していて、
まず学校に制服着てこないし、髪も編み込んでいて、スケボーで校舎を移動するなど態度が悪く、
先生が松下さんがダンス部の部長では他の生徒に悪影響が出ることを心配し、
部長をクビにさせられることになってしまいました。
当然と言えば、当然でしょうか。(笑)松下さんもこのことを反省していましたね。
なので、友人からは今の松下さんの姿には違和感があるようで、そのことを伝えると、
松下さんは「僕はもう大人になったんだ。あの頃の僕じゃないんだ、もう」と弁明していました。
参照元 モデルプレス 松下洸平、高校時代の“モテ伝説”が話題に
専門学校
とはいっても専門学校に行ってからも、その行動がすぐに変わるわけなく、
歌手を目指すために通った音楽専門学校では(ヴォーカル学科で2年間勉強)、
卒業校公演をボイコットしたこともあったようで、ここでもトガっていたようですよ。
なんでも当時の先生曰く、「そんなのに出てたまるか」と言っていたみたいで、
松下さんは覚えていないそうですが、先生が言っていたので、間違いないかと。(笑)
松下さんは相当後悔していたみたいですが。
今の松下さんからの姿からは想像できないですよね。
参照元 Sponichi Annex 松下洸平「そんなの出てたまるか」トガっていた学生時代 記憶なしも「めちゃくちゃ後悔」
松下洸平プロフィール
松下さんは画家である母親の影響で、高校まで美術に関係ある学校に通っていました。
将来はその道を目指して勉強をしていたみたいですが、
高校3年生の時に見た映画『天使にラブ・ソングを2』に衝撃を受けて、
歌の道を志すようになったようです。
すぐに母親には違う道に行くことを認めてもらうことをお願いしたそうですよ。
母親は芸術家であったためか、
親の欲目で歌はうまいと思っていてもそんなに甘いものでもないことを身をもって知っているため、
プロでは難しいと感じていたようです。
話し合いは続き、妥協案を出したりしましたが、最後は折れる形で好きにさせることにしたようです。
その時に母親と約束したのは「嫌いになるまでやりなさい」という言葉でした。
当時は応援半分、世間の厳しさを勉強したらいいと思う気持ち半分だったみたいです。
今は全力で応援していて、支えてくれる全ての方々に感謝しながら精進することを祈っていますね。
松下さんも当時はその言葉の意味は分かりませんでしたが、好きなことを仕事にしても、
上手くいかないことや、辞めたくなる時もあり、
「それでも続けたいと思えた仕事こそが自分の天職」と気づけた時には
母の言葉があったからこそたどり着けたと言っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は松下洸平さんの学歴・学生時代のエピソードについて解説してきました。
今の姿からは想像できない松下さんを知ることができましたよね。
主演作品も控え、これからも主要キャストとしての出演もますます増えると思いますので、
ますますの活躍が期待されますね。
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