今や引っ張りだこの大人気芸人の小峠英二さん。
ほぼ毎日何かに出ているイメージがありますよね。
そんな小峠さんですが、学生時代の若い頃は野球部での話や、アルバイト、
芸人になるきっかけの行動が話題となっています。
またバイク好きになったのはあのアーティストの影響があったのでは?
今回はそんな小峠さんの
学歴は?
学生生活は?
アルバイトの話しは?
お笑い芸人になるきっかけや行動は?
以上について調べていきたいと思います。
学歴
小学校・・・大任町立大任小学校
中学校・・・大任町立大任中学校(NAVITIME)
高校・・・・福岡県立東鷹高等学校
大学・・・・進学せず
小峠さんの出身校についてはネット上では上記の学校が噂されています。
中学に関しては小峠さんの出身地が田川郡の大任町(下記トークショーのチラシで判明)
であることから、町の中学が1つだけなので、恐らくそうではないかと言われています。
高校に関しては地元のトークショーで同行出身であることが紹介されていますので、有力です。
参照元 田川文化センター・田川青少年文化ホール バイきんぐ小峠英二田川凱旋トークショー『なんて素晴らしい日だ!?』
高校生活
小峠さんは福岡県の田川で高校を卒業するまで過ごしていました。
地元は田んぼばかりの田舎で、当時は駅前で不良が集まっていて、
週末には暴走族が来るような所でした。
そんな街だったので、小峠さんもその系統かと思いましたが、本人は否定していました。
ただ数回は高校時代に停学になったらしく、最初は入学して1か月で、
授業をサボってお城を見に行って停学だそうです。
理由は単に高校に入ったら授業をサボってみたかったという好奇心みたいからです。
その他にもバイク通学やアルバイトが見つかって停学に至ることがあり、
最後には先生に退学届けに名前を書かされて退学手前までいったそうですよ。
タバコや喧嘩はしなかったけど、違う意味で問題児だったのですね。
小峠さんは高校時代にはバンドをやっていて、オリジナル曲『ガラクタ』を制作し、
その歌詞が「俺なんか誰にも必要とされてない 俺たちは世間から見ればただのガラクタ」
という何とも当時の気持ちを反映したかのような歌詞に思えますね。
憧れていたバンドはBlankey Jet Cityで、ライブ会場の前にはハーレーがずらっと並び、
いつかは自分もと思ったそうです。そして、
大人になってからは免許を取って(SUZUKI)サベージで行き、
服装もエンジニアブーツを履いてサングラスをし、理想の格好をして行けたことを言っていました。
小峠さんのバイク好きはこれらの話しが影響しているのかもしれませんね。
参照元 suumoタウン きっかけは先輩の一言。都心部への引越しからゆるやかに人生が好転した――小峠英二さん【上京物語】
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中学時代は野球
小峠さんは中学時代には野球部に所属していました。小峠さんは野球は嫌いだったみたいですが、
何でも小学校で仲の良かった友人が中学で全員野球部に入ったため、しょうがなくだそうです。
ただ嫌いなものなので、中学2年生の時にはとうとう耐えられなくなり、親にやめたい気持ちを泣きながら、土下座までして伝えたそうですが、一言「ダメだ」と却下されたしまったそうです。
その時のことを思い出すと、なぜ辞めさせてくれなかったのか、腹が立ってくるみたいです。(笑)
ついにはその時には野球が嫌いから憎しみの対象にもなってしまったのだとか。
小峠さんの悲劇はまだ続き、いやいやながらも続けた野球だったので、ずっと補欠でしたが、
最後の最後、3年生の夏に行われた中学生活最後の試合に思い出作りとして
最初で最後となる打席にたたせてもらえたそうです。
ですが、記念すべき打席の初球に顔面の左側にデッドボール!
何とか出塁しても、その後の牽制球で今度は顔面の右側に当たるという悲劇!
しばらく立ち上がれなかったみたいです。そりゃそうですよね。
それ以来、小峠さんは野球を恨んでいるそうです。
なので、テレビは絶対進んでは見ないし、遠ざけるようにしているそうですよ。(笑)
バイトの経験
小峠さんはバイト経験が豊富であることも有名ですが、その分、問題行動やおかしなことも
たくさんあったようです。
人生初めてのバイトは高校生の時にした、カラオケボックスでしたが、厨房で、勝手にクリームソーダを作ったのがばれて、速攻クビになってしまったのだとか。
コンビニでもレジで、押してはいけないボタンを押して、大騒ぎになり、
そのままやめてしまうという最短2時間の記録を作ってしまった出来事も。
ルート配送のドライバーはあっていて、長く続けたかったそうですが、
会社が事業撤退のため、なくなり次のアルバイトを探すことになりました。
その後のレジャーホテルではノリが軍隊で、約束事何カ条が多すぎ問題や、
強烈な年上、年下のバイトがいて、小峠さんを試すことをするみたいで、嫌だったそうです。
思い出すだけで腹が立ってくるそうですよ。(笑)そのバイトは6か月でやめたそうです。
最後にしたバイトが害獣駆除で仕事自体は苦手であったそうですが、融通が利き、周りの人や、
会社には恵まれていたことを言っていました。今でも当時の仲間とは付き合いがあるそうですよ。
また芸人には向いている仕事でもあると言い、後輩を紹介したことも。
結局はバイトをする上で、何が優先順位が高いのかを考えるのが大事だと小峠さんは言っています。
小峠さんにとっては芸人活動が疎かにならない仕事が害獣駆除だったんですね。
参照元 マイナビバイトTIMES カラオケをクビになり、レジャーホテルで憤慨し、たどり着いた害獣駆除――バイきんぐ・小峠英二のバイト学
芸人になるきっかけ
小峠さんが芸人になるきっかけは、元々小学生の頃から憧れはあったみたいで、
行動に移したのが高校2年生の時でした。
夏休みに東京で生活し、「笑っていいとも!」の素人参加コーナーに友達と出て、
初めてのテレビで一発芸をやり、それがウケて、楽しかったので、芸人にすぐなるために、
福岡に帰って親に学校をやめることを伝えたそうです。
当然反対され、「休学」という形で、了承は得たみたいですが、
そのあと、すぐに一人で大阪に行き、半年くらい生活をして、吉本の養成所の面接を受けました。
結果は落ちてしまい、高2をもう一回やることになってしまったそうです。
当初、学校側は休学で認めていたものの、小峠さんの行動を改めて問題視して、
戻ってきた時には退学扱いになぜか変わっていたのだそう。
しかし担任の先生が学校にお願いして、何とか戻してもらえたそうですよ。
後に小峠さんは、その担任の先生は一番お世話になった人と言って感謝しています。
ちなみに1回留年した2年生時(ダブルというらしいです)に付き合った彼女が2回留年(トリプル)していた人で、周りからフィフスと呼ばれていたこれまたすごいエピソードもありました。
参照元 suumoタウン きっかけは先輩の一言。都心部への引越しからゆるやかに人生が好転した――小峠英二さん【上京物語】
RBBTODAY バイきんぐ小峠、お笑いのために高校を休学した過去明かす
小峠英二
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は小峠英二さんの学歴、学生生活、お笑い芸人になったきっかけについて解説してきました。
今では大人気お笑い芸人ですが、こうしてみると、苦労は凄くしていますね。
ただ成功している人はこれをネタにして、また行動力もある人であることがわかりますね。
これからも多くの人を楽しませてくれることでしょうね。
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