女優、モデル、タレントとして活躍している中村アンさん
名前からハーフやではないかと言われますが、
これは芸名で両親は新潟の佐渡島出身で中村さんは日本人です。
東京に出てきていましたが、現在は父親のリタイヤを機に地元に帰り生活をしているそうです。
芸名のアンについては事務所からの指摘で印象を残すためにつけたそうです。
参照元 モデルプレス “10クール連続でドラマ出演”の中村アン、父に「フリーターと思われていた」デビュー当初を回顧
日本経済新聞 女優・中村アンさん 母の「獅子の崖落とし」に感謝
今回はそんな中村アンさんの
学歴は?
学生時代のエピソードは?
芸能界に入ったきっかけは?
以上について調べていきたいと思います。
学歴
小学校・・・江東区立数矢小学校
中学校・・・目白学園中学校
高校・・・・目白学園高等学校
大学・・・・東洋英和女学院大学
情報が多数あり上記の学校が有力ではないかと思われます。
小学校
中村さんの出身小学校は江東区立数矢小学校となります。
中村さんは小学校5年生くらいから転校してきて、この学校を卒業しています。
『アド街ック天国』出演のときに語っていたことから判明しました。
中学・高校
中村さんの出身中高は目白学園(現・目白研心中学校・高等学校)です。
インタビューを受けているときに公表しています。
中村さんの学生時代は高校時代から始めたチアリーディング一筋でした。
チアは厳しくて有名で中村さんも最初は入部するかどうか迷ったそうです。
例を挙げると1年生は45分前行動で
メイク・携帯・スカートを短くする・は禁止
男子校の文化祭に行くこと・寄り道・買い食い等も禁止だったそうです。
勝つためにはこれぐらいの縛りが必要なのでしょうね。
中村さんは顧問の先生の言葉「何かを得るには犠牲はつきもの」という言葉と、
強豪のチアリーディングで結果を残せば大学にも有利になると思い入部を決めました。
実際に入部すれば、携帯所持の検査、買い食いチェックは実際にあったみたいで、
違反があれば反省文やミーティングが連帯責任で行われたそうです。
ここまではマイナスなことばかり言ってきましたが、
もちろんかけがえのない得るものもあったそうです。
3年生の時にはキャプテンであったこともあり学校の看板を背負っている意識や、
強豪であり続けるには今までの厳しい規則も必要と考えるようになったそうです。
当時は全国制覇を経験しています。すごいですよね。
振り返った時に部活は本当に地獄だったそうですが、犠牲を払った分、根性や笑顔の大切さ上下関係を勉強でき、負けん気の強さが備わったこと話していましたね。
参照元 Sponichi Annex 毒舌だけじゃない 中村アン 前髪&派手ワンピは「私のシンボル」
日本経済新聞 女優・中村アンさん 母の「獅子の崖落とし」に感謝
大学
中村さんの出身大学は東洋英和女学院大学です。
同じくインタビュー記事で公表しています。
大学生の時に後述しますが、芸能界の活動をはじめています。
ただこの仕事をしていなかったら客室乗務員を目指していたそうです。
また就職活動にも参加していて、染めていた髪も黒く染め、
スーツを着て説明会にも行ったそうですよ。
参照元 朝日新聞 チア一筋、進学への道だった モデル・中村アンさん
進学ナビ 中村アン-インタビュー
中村アン プロフィール
芸能界に入ったきっかけ
中村さんの芸能界へのきっかけは高校3年生の時にスカウトされたことからでした。
当時は高校で行っていたチアリーディングで大学への推薦を受けていたため辞退しましたが、
大学生の頃に、それまで何度か声をかけてもらっていたので、挑戦することにしたみたいです。
芸能活動を始めた当初は仕事がなく、焦りがあったようです。
本人もスカウトであったため、簡単に仕事が来るものと思ってたみたいです。
はじめは両親も反対していたため(3年の条件付きで許可)肩身は狭かったそうですよ。
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は中村アンさんの学歴、エピソード、芸能界に入ったきっかけについて解説してきました。
強豪校であったチアリーディング部に所属していたことが
今の中村さんを作っていると言っていましたが、苦労をしている人は粘り強いですよね。
私は見習うところだと感じました。
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