連続テレビ小説 『あまちゃん』で、小泉今日子演じる主人公の母親の若かりし頃を演じて話題となり、
現在大活躍している有村架純さん。
多くの方はご存知とは思いますが姉はタレントの有村藍里さんです。
有村さんはいつも冷静でおっとりした印象があると思いますが、
幼少期はおてんば娘だったそうですよ。
しかし学生時代は両親の離婚で色々と考え方が変わったみたいです。
今回はそんな有村さんの
学歴は?
学生時代のエピソードは?
芸能界を目指したきっかけは?
以上について調べていきたいと思います。
学歴
小学校・・・伊丹市立稲野小学校
中学校・・・伊丹市立西中学校
高校・・・・兵庫県立伊丹西高校→日出高校
有村さんの学歴について
小学校はSNSでの在籍情報があるとのことで伊丹市立稲野小学校ではないかと言われています。
伊丹市立西中学校、兵庫県立伊丹西高校については
神戸新聞に取り上げられたときにこれら学校の出身であることが明記されています。
高校時代の転校した先についてはSNSインフルエンサーのゆり姉さんが日出高校出身であることを
公表をして2ショットをとっているので、有力ではあります。
有村さんの出生地については奈良県香芝市という情報がありますが、
実際はどうなのかはわかりませんでした。神戸新聞の記事では兵庫県伊丹市生まれとありましたが。
幼少期
幼少期の有村さんは外で遊ぶことが大好きだったらしく、
外に行けばフラっといなくなる子供だったそうです。
また頭から流血することが多かったみたいで、スーパーで金具にぶつかったりや、
道の溝に頭から落ちたりと母親は大変だったでしょうね。
また小学校4年生の時には悪戯で椅子を引かれて
ロッカーの角にぶつけて頭を触ると血で真っ赤になっていて号泣したことも。
他にも父親に抱きかかえられて遊んでいた時も着地に失敗して足の親指を骨折、
サッカーゴールに頭をぶつけて大きなタンコブをつくるなど、とにかくケガが多い幼少期でした。
よく無事に大人になれたものです。
両親は心配であったしょうね。
そんな中でも夢中になっていたのは戦隊もので
「五星戦隊ダイレンジャー」は大好きでピンクには憧れがあったそうです。
テレビはいつも楽しみにしていて、歌は一緒に歌っていたとも言っています。
参照元 モデルプレス 有村架純、幼少期は「頭からよく血を流す女の子」だった 衝撃エピソード披露
中学
中学時代の有村さんは幼少期からの明るい性格もあり、天真爛漫で友達も多く遊んでいたそうです。
部活動はソフトテニス部に所属していたそうですよ。
ただ部活の先輩が厳しくて入部当初はずっとボール拾い、
私語も厳禁でルールを破ると連帯責任でランニングがあったそうです。
有村さんはそこで忍耐力が付いたと前向きにとらえていますが、できた人です。
運動部活あるあるの話しでしたね。
私も野球部に一時所属していましたが、
似たようなものでした。
参照元 毎日新聞 始まりの年2019 スペシャルインタビュー(その2) 俳優・有村架純さん
めざましmedia 有村架純「忍耐を鍛えてもらったな」学生時代の“運動部あるある”エピソード語る
高校時代
有村さんは高校に入学してからは寿司屋とそば屋でアルバイトをしていたそうで、
多い時には週に6日も入っていたそうで、一人で頑張る母親を支えるためだったみたいですね。
有村さんは中学生の時に両親の離婚があり、(小学校4年生の時に別居)
今までの末っ子体質を考えるきっかけになったそうです。
その時に
自分が自立して、母も姉も自分が守り父親代わりをするという決意
があったそうです。
今の有村さんがある経験でありますが、
小学生がこのような決意をするのはしょうがない部分もあるのかもしれませんが、悲しいですね。
バイトでのエピソードでは、たまにビール瓶とか落としたり、
出来上がった料理をどこかにぶつかって落としたりと失敗はあったそうです。(笑)
ただお店の人やお客さんからは評判は良かったと店主の方が言っているのと、
上京するときには見送りに行っていることからも
有村さんに対する信用はかなりあったことが伺えますね。
里帰りしたときには顔を出すこともあるそうですよ。
また伊丹に住んでいた時、最寄り駅の阪急伊丹駅から梅田や心斎橋によく遊びに行っていたそうで、
電車から見える橋を渡る景色を見ると梅田で遊べるワクワクする時間が好きだったそうです。
心斎橋に行くときには道のりが長く人をかき分けて歩いていたことも話していました。(笑)
参照元 モデルプレス 有村架純、幼少期は「頭からよく血を流す女の子」だった 衝撃エピソード披露
文春オンライン 「無人駅はドキドキします」有村架純が語る学生時代“思い出の鉄道”
SmartFLASH 「有村架純」寿司屋と蕎麦屋で週6バイトの高校時代
RBBTODAY 有村架純、小4で自立を意識 両親離婚で「自分が父親代わりにならなくては」
有村架純プロフィール
本名と芸名は漢字一文字違いですが芸名には父親の名前が入っている純を入れたかったみたいです。
両親が離婚をしていても良好な関係が続いているのだと思われます。
参照元 LIFE 有村架純は芸名だった!? 芸能人の名前の秘密
芸能界を目指したきっかけ
有村さんが俳優の仕事に興味を持ち憧れを持つようになったきっかけは
中学生の時にドラマを見ていて、自分だったらどうするのかを考え始めたことからでした。
そこから女優が将来の夢になり、中学3年生でオーディションを受け始めました。
母親も自由にやらしてくれたことも後押しとなったみたいですね。
ただ初めてのオーディションのときに新幹線のなかで緊張しすぎて、吐きそうになったことも(笑)。
しかし現実は厳しく、現事務所のオーディションの時には
身体を絞り標準語をきちんと話せるようになってからまた受けてくださいと言われたそうです。
有村さんが凄いのはそこで課題を克服して再挑戦をしたことです。
本人は半分は意地で悔しくて見返したかったそうですがなかなかできることではありませんね。
その頑張りがあり、現事務所に所属することになったそうです。
参照元 毎日新聞 始まりの年2019 スペシャルインタビュー(その2) 俳優・有村架純さん
あんふぁん 有村架純「恥ずかしがり屋だった私を変えたのは女優への夢でした」
+act. INTERVIEW 有村架純 (ありむらかすみ)
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は有村架純さんの学歴、学生時代のエピソード、事務所所属までについて解説してきました。
有村さんの現在は今までの経験があってこそだとわかりましたね。
スカウトではなく自分で道を切り開いてきた叩き上げであるのにはびっくりしました。
きっとこれからもその根性をもって活躍していく女優さんですね。
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