独自のサウンドでクラブからストリートまで縦横無尽に活躍し、日本発のヒップホップ新波を尖鋭化させたラッパー、 Tohji さん。自身が結成したクルー「Mall Boyz」を拠点に、ロンドン生まれ・横浜育ちという異彩のルーツを背景に、世界を視野に入れながら音楽・ファッション・文化をクロスオーバーさせてきました。
Tohji、2026年をもって音楽活動を引退https://t.co/xHLaPOaCLf
— 音楽ナタリー (@natalie_mu) October 18, 2025
本日出演「POP YOURS OSAKA」ステージで発表
「晴れ晴れとした雲ひとつないような気持ちです」#Tohji #popyours pic.twitter.com/89FpW3kZmw
その魅力は、英語・日本語を自在に駆使するバイリンガルなラップに加えて、郊外モールやニュータウンといった“日常”を異質な表現装置に変えるセンス。ラップという枠を超えた“空気を作る”表現力にも惹きつけられます。
そんなTohjiさんのクールな音楽性と独創的な世界観は、一体どこで培われたのでしょうか。アーティストとしての土台が作られた学生時代の話は特に気になるところです。
「Tohjiさんの通った学校はどこ?」「学生時代はどんな生徒だったの?」といった、彼のルーツに迫る疑問を、この記事で詳しく解説し、その魅力の核心に迫ります。
出身校は?
Tohjiさんは、麻布中学校・高等学校に入学後、武蔵野美術大学に入学しています。
- 中学校・高等学校: 麻布中学校・高等学校(中高一貫校)
- 大学: 武蔵野美術大学
特に大学時代は、友人らと一軒家でシェアハウス(「ヤサ」と命名)を始め、楽曲制作やイベント企画に没頭しました。この美大での環境と活動が、彼の音楽が持つ視覚的な美しさや、ジャンルレスなアート志向に大きく影響していると考察できます。美大で培われた自由な発想や実験精神が、従来のヒップホップの枠に収まらない、彼独自のサウンドとファッションセンスの源になっていると言えるでしょう。
退学騒動の真相は?
Tohjiさんが通っていた高校は、かつての学生運動の影響で、校則を生徒自身で決めるという珍しい文化が残っていました。この環境が、彼の退学と独自の価値観形成に大きく影響しています。
1. 激しい「学内選挙」と派閥争い
退学の大きな要因の一つは、学校の雰囲気を左右する「学内選挙」での敗北でした。
- 二大派閥の対立: 学校内には「夜遊びやヤンチャをするヤンチャ系」と「勉強に励み良い大学を目指す真面目系」の二つの派閥が存在し、選挙で勝った派閥が学校の「長」となり、校内の雰囲気を支配する状況でした。
- 世界の支配者感覚: Tohjiさんは当時、この「長になること」を「世界の支配者になるような感覚」と捉えており、派閥間の争いは非常に激しいものでした。
- リーダーと敗北: 彼がヤンチャ系のリーダーとして選挙に出馬した際、学校側の圧力もあって劣勢だった真面目系に敗北。この選挙での敗北が、退学を決める一つのきっかけとなりました。
2. 「生々しさ」を求める過激な行動
退学を決定づけたのは、選挙の敗北に加えて、彼が同時期に起こしていた「色んなこと」の責任を取る形でした。
- 行動の動機: 当時のTohjiさんは「生々しさ」や「身体的な何か」を求め、「やったことない事やダメな事、いい事、楽しい事、全部やってみる」という過激なマインドで行動していました。
- 過激な行為の例: その一環として、インタビューで彼は衝撃的な行動を告白しています。この過激な行為が、一連の退学理由を指す「煮込み鍋事件」として知られている出来事の中核だと推測されます。
- 学校側の対応: これらの行動や思想が学校側に発覚し、「お前らが後輩に思想を植え付けている」として問題視され、責任を取る形で高校を辞めることになりました。
本人のインタビューはこちらに掲載されています。👉 出典 mag.digle.tokyo
考察:Tohjiの音楽観への影響
この高校時代の経験は、Tohjiさんのその後のアーティスト活動に深く影響を与えています。
- 倫理観の破壊と創造: 既存の倫理観が壊れ、善悪の区別なく「何でも全部やってた」という経験は、彼の音楽が持つジャンルや常識を破壊する自由な表現、そして生々しいエネルギーの源泉となっています。
- 自己表現への転換: 高校を辞めて引きこもった後に、この制御不能な衝動が音楽を通じた自己表現へと向かい、「ラップスタア誕生!」での活躍や、後のMall Boyzの活動へと繋がりました。
高校退学後の生活と美大進学の理由
隔離された生活と内省の期間
高校を退学した後、Tohjiさんは一時的に外界から距離を置いた生活を送っていました。
- 地元での孤立: 彼の地元であるニュータウン(港北ニュータウン)から、唯一の交流の場だった東京へも行かなくなり、「外界からマジで隔離されちゃった」と語っています。この状況を彼は「シムシティにぱたんと閉じ込められた感じ」と表現しており、精神的に厳しい時期だったことが伺えます。
- 創作活動の開始: 外界との関わりを断った時期に、軽く音楽を作ったり、映画を観たりする生活を送り始めました。この内省的な期間こそが、本格的な音楽活動に向けた準備期間、つまり自己表現への目覚めの時期だったと考察されます。
- 喫茶店での長い時間: 毎日10時間もニュータウンの喫茶店で過ごすという生活は、情報の収集や思考を深める時間であり、後のクリエイティブな発想の土壌となった可能性があります。
美大を選んだ「戦略的な」理由
Tohjiさんが武蔵野美術大学を選んだのは、純粋な芸術への情熱だけでなく、環境と繋がりを求める戦略的な見立てがあったからです。
- 「気が合う奴」との出会い: アートに興味はあったとしつつも、最も大きな理由は「単純に気が合う奴がいそうだなっていう見立て」でした。「ジョン・レノンとポールが美大で出会ったみたいに」と語るように、才能を刺激し合える仲間との出会いを期待していました。
- 居場所の確保: 美大進学を「入りやすいし、それなりに居場所も確保できるし、ある意味生活保護的な感じ」と表現しており、社会的な立場を得て、クリエイティブな活動に集中できる環境を確保する目的があったと推察されます。
- 創造的なコミュニティの形成: 実際に入学後、期待通りに気の合う仲間たちと出会い、すぐに**一軒家を借りて共同生活(「ヤサ」)**を始めました。このコミュニティが、後のクルー「Mall Boyz」の結成や、イベント企画(PEDRO、OSD)といった、彼のキャリアの基盤を築くことになります。
この選択は、彼の目的(気の合う仲間との創造的な活動)を達成するための、非常に合理的かつ戦略的な行動であり、彼の持つプロデュース能力の高さを示唆しています。
表紙任せてくれて嬉しかったです
— Tohji (@_tohji_) March 10, 2020
お疲れ様でした😈@Ollie_mag pic.twitter.com/hiug6ol5Rl
この世界に入ったきっかけ
幼少期から身近にあった洋楽ラップ
Tohjiさんにとって、ヒップホップは特別なジャンルとして意識する前から、日常の中に存在していました。
- 自然な出会い: Eminemなど、探さなくても自然に耳に入ってくるような海外の有名ラッパーの曲を、幼少期から聴いていたことが分かります。
- 音楽の受容性: この経験から、彼の音楽的ルーツは、意識的に探した「コアな」音楽だけでなく、広くポピュラーな音楽も含めた非常にオープンなものだったと推測されます。
中学時代に開花したヒップホップへの興味
彼がヒップホップを「自分で選んで聴く」ようになったのは、中学時代に遡ります。
- 先輩との縦の繋がり: 中高一貫校だったため、中学1年生の頃から高校2年生の先輩たちと交流がありました。この縦の強い繋がりが、彼の音楽趣味を形成する上で決定的な役割を果たしました。
- 日本語ラップとの衝撃的な出会い: 先輩たちが流していた妄走族やキングギドラといった日本の伝説的なグループの楽曲に触れ、「こういう音楽があるんだ」と強く認識し、のめり込んでいきました。
謎の「MDプレイリスト」が育んだ多様な音楽観
先輩たちが聞いていた音楽は、ヒップホップに留まらず、非常に多様なものでした。
- 音楽のルーツ: 溜まり場ではキングギドラだけでなく、ロックバンドのTHE BLUE HEARTSやアイドルグループの**モーニング娘。**などもかかっていたと語っています。
- MD文化の影響: この多様性は、「代々先輩から受け継がれたMD」というユニークな文化によって形成されました。上の学年が好きな曲を追加していくシステムにより、新旧・ジャンルが混ざった「謎のプレイリスト」ができあがり、Tohjiさんは自然と雑食的な音楽観を身につけたと考察できます。
ラッパーとしての才能に気づいた瞬間
遊び半分だった時期を経て、本格的に活動を始めることになります。
- カラオケでの挑戦: 仲の良い先輩たちと夜のカラオケに行った際、「ラップしろよ」と振られ、妄走族やキングギドラの曲を真似て歌ったところ、先輩たちに認められ、「俺、うまくね?」と手応えを感じたといいます。
- 本格始動: 高校時代には友達と遊びで制作もしていましたが、ラッパーとして「ちゃんと」活動を始めたのは、19歳か20歳頃、つまり武蔵野美術大学に入学し、シェアハウスで楽曲制作に没頭し始めた時期と重なります。この頃、遊びからプロの表現へと意識が切り替わったと考えられます。
| 時期 | 主な出来事 | 音楽との関わり・影響 | 考察されるTohjiさんの姿勢 |
| 幼少期〜 | Eminemなどの洋楽ラップが自然に耳に入っていた。 | 意識せずともポピュラーなラップに触れ、音楽へのオープンな感覚を養った。 | 音楽に対する受容性が高く、先入観なく多様な音を取り入れる土台ができた。 |
| 中学時代 | 中高一貫校の先輩からヒップホップを教わる。 | 妄走族やキングギドラといった日本のヒップホップと衝撃的な出会いを果たす。 | 縦の強い繋がりを通じて、日本のコアなヒップホップカルチャーに深く傾倒し始めた。 |
| 中学〜高校 | 先輩から受け継がれた「MDプレイリスト」を聴く。 | キングギドラ、THE BLUE HEARTS、モーニング娘。など、ジャンルや年代が混在した雑食的な音楽観を形成。 | 音楽の多様性を自然に受け入れ、独自のセンスを磨く環境にあった。 |
| 高校時代 | カラオケでラップを振られ、「俺、うまくね?」と気づく。 | 友達と既存のインスト曲にラップを乗せて遊ぶ感覚で楽曲制作を試みる。 | 自身の才能を自覚し始めた時期。遊びを通して表現の楽しさを発見した。 |
| 19〜20歳頃 | 楽曲制作を「ちゃんと」始める。 | 高等学校卒業程度認定を取得し、武蔵野美術大学に入学後、本格的な活動を開始。 | 音楽を趣味から自己表現の手段へと昇華させ、プロとしての意識が芽生えた。 |
まとめ
いかがだったでしょうか?今回はTohjiさんの出身校や学生時代の具体的なエピソードについて解説してきました。
学歴:
- 麻布中学校・高等学校(高校3年時に中退)
- 高等学校卒業程度認定
- 武蔵野美術大学
○○がきっかけでこの世界に入る:
- 中学時代の先輩が流していた妄走族・キングギドラなどの日本語ラップとの出会い。
- 夜のカラオケでラップを振られ、「俺、うまくね?」と気づいたこと。
- 高校退学後の引きこもり期間中に、音楽を通じて自己を表現することに目覚めたこと。
麻布中高という環境から、自らの意思で武蔵野美術大学へと進み、独自のクリエイティブな世界を築き上げた彼の背景は、その音楽性のルーツを理解する上で非常に重要です。2026年をもって音楽活動を引退するTohjiさんですが、引退までの残された期間、彼の「Mall Boyz」としての活動や、未発表のアルバムリリース、そして国内外のビッグステージでのパフォーマンスは、伝説的なものとなるでしょう。彼の芸術家としての視点と、ヒップホップのエネルギーが融合した活動は、引退後も日本のカルチャーシーンに計り知れない影響を与え続けると期待されます。
参考・出典一覧
| 出典元 | ページタイトル |
|---|---|
| Wikipedia | Tohji |
| mag.digle.tokyo | ラッパーTohjiが見てきた景色と、そこから生み出す新しい世界 | Newave Japan #41 |
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