【最新版】内田誠の現在と経歴|日産再建のキーマン、その“異色”の原点と今

当サイトのリンクには広告が含まれています

スポンサーリンク

ゴーン体制崩壊後の混乱を引き継ぎ、日産自動車の再建という重責に挑んだ人物-内田誠(うちだ まこと)-さん。その名を覚えている方も多いのではないでしょうか。

日産のトップとして、その手腕に注目が集まった彼ですが、2025年6月現在、「最近メディアで見かけない」「退任したって本当?」といった気になる声も聞かれます。果たして、激動の時代を駆け抜けた内田誠さんは今、何をしているのでしょうか?

今回は、内田誠さんの異色の経歴、日産自動車の再建を託されたリーダーとしての歩み、そして現在の状況に至るまでの軌跡を詳しくお届けします。

度重なる異文化適応を経験し、ビジネス界では珍しい神学部出身という背景を持つ内田氏が、どのようにしてグローバル企業日産のトップに上り詰め、そして今、どのような「現在」を迎えているのか。その全貌に迫ります。どうぞ最後までお読みください。

目次
スポンサーリンク
スポンサーリンク

プロフィール

項目内容
名前内田 誠(うちだ まこと)
生年月日1966年7月20日
年齢58歳(2025年6月時)
出身地東京都・城南地区
身長184cm

兄弟は妹の存在が明らかになっています。

現在の内田誠さんは?

内田誠氏:現在の状況と今後の展望

2025年6月現在、日産自動車の社長兼最高経営責任者(CEO)を退任した内田誠さんは、公的な役職や、メディアで報じられるような表立った活動は確認されていません。日産CEO辞任の報道以降、彼は公の場から一線を引いていると見られます。

特筆すべきは、6月24日に横浜市の日産自動車本社で開かれた定時株主総会です。これは内田さんにとって最後の取締役としての登壇となりました。

混乱の極みにあった日産を率い、一時的ながらも業績回復の道筋をつけた彼の存在感は大きかったはずですが、この場では驚くほど静かに振る舞っていたようです。時折メモを取る姿は見られたものの、終始表情を変えず、一言も発言する機会はなかったと報じられています。

考察:豊富な経験と手腕がもたらす次なる可能性

しかし、これはあくまで現在の表立った状況であり、内田さんがこれまでに培ってきた国際的な手腕や豊富な経験を鑑みると、彼の今後の動向には大いに注目が集まります。

内田さんは、幼少期からの異文化経験と、日商岩井(現双日)や日産自動車で培ったグローバルビジネスの知見、特にアライアンスをまとめる高い調整能力と実行力を持っています。

日産CEOとしての激動期において、新型コロナウイルスのパンデミックという未曽有の危機を乗り越え、「NISSAN NEXT」によって日産を巨額赤字からV字回復させた実績は、彼のリーダーシップの確かさを証明しています。

このような背景を考慮すると、彼は単なる一企業幹部としてのキャリアを終えるだけでなく、その経験を活かして次なる分野で再登場する可能性は十分に考えられます。具体的には、以下のような分野での活躍が期待されます。

  • 財界・経済界での貢献: 自動車産業だけでなく、日本の産業界全体を俯瞰し、経済団体や政府の諮問機関などで、そのグローバルな視点と経営手腕を活かした提言や指導を行う可能性。
  • 教育界・研究機関での役割: 自身の異文化適応能力や、激しいビジネス環境でのリーダーシップ経験を、次世代のビジネスリーダー育成のために大学やビジネススクールで教鞭を執ったり、研究活動に携わったりする可能性。
  • 講演活動・執筆: 自身の波乱万丈な人生経験や、日産再建の舞台裏、グローバルリーダーシップの哲学などをテーマに、講演や執筆を通じて多くの人々にインスピレーションを与える活動。
  • 国際的なアドバイザー/コンサルタント: 多国籍企業や国際機関に対して、経営戦略や組織改革、異文化間コミュニケーションなどのアドバイスを行う専門家としての道。

現在は一歩引いた形であるかもしれませんが、内田さんの持つ稀有な経験と能力は、今後も社会の様々な分野で必要とされるでしょう。彼の次なる一手、そしてそれがどのような形で現れるのか、引き続きその動向が注目されます。

スポンサーリンク

幼少・学生時代はどんな経験をしてきた?

内田さんの幼少期から学生時代にかけての経験は、まさに波乱万丈と呼ぶにふさわしいものでした。航空会社に勤める父親の仕事の関係で、彼は国境を越える生活を余儀なくされます。

小学校1年から5年までをエジプトのカイロ日本人学校で過ごし、日本語が通じる環境でありながらも、一歩外に出ればアラビア語に囲まれる異文化を肌で感じていました。

その後、帰国して大阪のマンモス校に入学すると、今度は「未知の言語」(日本語の厳しさ)に直面します。

中学2年からはマレーシアに移り、インターナショナルスクール(ISKL)で英語漬けの生活を送ることになります。父親の「これからはグローバル化の時代。英語を身につけ、様々な国の人と付き合ったほうがいい」という言葉が、内田氏のその後の人生を大きく方向づけたのです。

英語習得には苦労し、入学当初は辞書が手放せない日々が続きましたが、この経験が異文化へ順応する覚悟を彼に与えました。身長184センチの恵まれた体格を活かし、アメフト部でレギュラーとして活躍することで、異国の地で「居場所」を見つけます。

「スポーツに国境はない」という言葉は、彼自身の経験から生まれた実感でしょう。アメフトのシーズンオフには、得意な水泳を活かして監視員のアルバイトもこなすなど、積極的に異文化に溶け込んでいきました。

そして高校2年の終わり頃に再び日本へ帰国し、同志社国際高校に入学します。しかし、長期にわたる海外生活のブランクが響き、今度は日本語、特に漢文に苦戦するという逆転現象に見舞われます。「日本なのになぜ中国語が出るのか」と先生に質問したエピソードは、彼の体験がいかに特殊であったかを物語っています。

同志社大学で神学部に入学した背景には、マレーシアでの経験が大きく影響しています。友人から突然「おまえの宗教は何だ」と問われ、自身の宗教に対する知識の希薄さに気づかされます。

世界には宗教を大切にする文化があり、それが人々の生活や人生に深く関わっていることを痛感したのです。この気づきが、宗教や神学への関心へとつながっていったと語っています。

内田さんのキャリアを振り返ると、このような度重なる異文化適応と、それに伴う言語や文化の壁を乗り越えてきた経験が、現在の彼のリーダーシップに深く根付いていると考察できます。

特に、ビジネス界では珍しい「神学部」出身という異色のバックグラウンドは、単なる知識の習得に留まらず、「良心に従う人格形成」という普遍的な価値観を彼の中に育んだことでしょう。

これは、日産自動車の社長として、カルロス・ゴーン元会長の逮捕後の混乱期に、企業倫理の立て直しやアライアンスとの信頼関係再構築に尽力した彼の姿勢にも表れています。

国際交渉や人材育成の現場において、彼が一貫して“人を活かす経営”を信条としてきたのは、異なる背景を持つ人々と向き合い、共感し、信頼関係を築き上げてきた幼少期からの経験が土台となっていると考えられます。

言語や文化の壁を乗り越えてきた経験は、多様性を重んじ、個々の能力を最大限に引き出すという彼のリーダーシップスタイルを形成する上で不可欠な要素であったと言えるでしょう。

スポンサーリンク

経歴

内田誠氏:グローバルキャリアと異文化適応が育んだリーダーシップ

1991年に同志社大学神学部を卒業という異色の経歴を持つ内田さんは、同年4月に日商岩井(現・双日)に入社。

世界を相手にダイナミックな仕事をしたいという強い思いを胸に、機械部門から自動車部門へと移り、フィリピンでの5年間の駐在経験を通じて、商社パーソンとしての基盤を築きました。現地では日商岩井と三菱自動車工業の合弁企業に勤務し、自動車業界における経験を積んでいきます。

日産への転籍とグローバルリーダーへの道

そして2003年、内田さんは自身の意思で日産自動車に転籍します。「もっとグローバルな仕事がしたい」「もう1回何かやるなら自動車関係をやってみたい」という強い探求心が彼を日産へと向かわせました。

当時の日産を「グローバルでダイバーシティー(多様性)に富んだ会社」と評したことは、彼の持つ国際的な視点と多様性を尊重する価値観に合致していたことを示唆しています。

日産入社後は、厚木テクニカルセンターの購買部門で部品の購買・調達を担当。2016年には常務執行役員に就任し、ルノー・日産・三菱アライアンスの購買を担当するなど、その能力を遺憾なく発揮します。

特に、大韓民国でのルノー韓国工場製エクストレイルの北米輸出プロジェクトでは、徹底したコスト削減と効率化により多大な利益をもたらし、「アライアンスの成功事例のひとつ」として社内で高く評価されました。

2018年には専務執行役員に昇格し、東風汽車有限公司総裁として中国事業を率いることになります。そして2019年12月、カルロス・ゴーン元会長の逮捕以降混乱の渦中にあった日産自動車の「代表執行役社長兼最高経営責任者(CEO)」に就任。

これは、彼の長年にわたるグローバルなビジネス経験、特にアライアンスにおける実績と、多様な文化背景を持つ環境で培われたリーダーシップが高く評価された結果と言えるでしょう。

考察:異文化経験と神学部での学びが織りなすリーダー像

内田さんのキャリアを俯瞰すると、彼の一貫したグローバル志向と、それを支える異文化への高い適応能力が際立っています。幼少期から異なる言語と文化に囲まれて育った経験は、彼がビジネスの舞台で直面するであろう様々な障壁を乗り越えるための土台を築きました。

特に、神学部での学びは、ビジネス上の合理性だけでなく、多様な価値観を理解し、共感する「人間性」「倫理観」を育んだと考えられます。

このバックグラウンドが、日産自動車のトップとして、単なる業績回復だけでなく、企業風土の改革やアライアンスパートナーとの信頼関係再構築といった、より複雑で人間的な側面に光を当てるリーダーシップに繋がっているのではないでしょうか。彼のキャリアは、グローバル化が進む現代において、真に求められるリーダー像の一例を示していると言えるでしょう。

スポンサーリンク

在任中の実績と評価

激動の日産を率いたリーダーシップ

2019年12月、内田さんは日産自動車の代表執行役社長兼最高経営責任者(CEO)に就任しました。この時、日産はカルロス・ゴーン前会長の逮捕や、前任の西川廣人社長の不正報酬問題による辞任など、度重なる不祥事で経営が混乱し、ブランド力と業績が著しく低下している危機的な状況にありました。

「3頭体制」の崩壊とコロナ禍の直撃

内田さんの就任当初は、ルノー出身のアシュワニ・グプタCOO(最高執行責任者)と、日産生え抜きで技術畑を歩んできた関潤COOが内田氏を支える「3頭体制」、あるいは「トロイカ体制」として再建への期待が寄せられました。

しかし、就任直後に関潤COOが突如辞任し日本電産へ移籍するという予期せぬ事態が発生し、このトロイカ体制は瞬く間に崩壊。さらに多数の役員が日産を見限り他社へ移籍するなど、まさに「泣きっ面に蜂」の状況で、内田さんのCEOとしての任期がスタートしたのです。

再建への取り組みが始まった矢先、2020年初頭には新型コロナウイルスの世界的なパンデミックが日産を直撃します。ただでさえ業績が低迷していたところに、全世界での外出自粛の動きにより自動車販売が激減。

これにより、2020年5月28日に発表された2019年度決算では、日産は1992年以来27年ぶりとなる6712億円もの巨額赤字に転落し、まさに八方塞がりの状態に陥りました。

「NISSAN NEXT」によるV字回復とブランド刷新

この未曽有の危機的状況に対し、内田さんは事業構造改革計画「NISSAN NEXT(ニッサン ネクスト)」を発表しました。これは、損益分岐点の引き下げ、生産能力の削減(インドネシア工場の閉鎖やバルセロナ工場の閉鎖交渉)、そして新型車の導入を柱とする大胆な改革でした。

改革の進捗として、2020年7月15日にはブランドイメージ刷新のため、19年ぶりにブランドロゴが刷新されました。当初難航したバルセロナ工場の閉鎖交渉も、最終的には中国の長城汽車への売却交渉を開始するなど、内田氏主導の改革は着実に実行されていきました。

これらの改革が功を奏し、日産は翌2020年度決算では新型コロナウイルスの影響で減収減益にはなったものの、NISSAN NEXTで掲げたコスト削減(3000億円以上)や生産能力の最適化、新型車の導入に成功。そして、2021年度第一四半期決算では、日産が3年ぶりに黒字に転換するという目覚ましい回復を遂げました。

その後も業績は回復傾向を維持し、2021年度上期決算でも引き続き黒字を維持するなど、内田さんのリーダーシップの下で日産は危機を脱し、V字回復の兆しを見せました。2021年11月18日には日本自動車工業会の副会長に就任するなど、業界内での存在感も高めていました。再びの試練と退任示唆

内田誠氏:日産CEOとしての最終局面と完全退任

内田誠氏の日産自動車CEOとしての道のりは、2024年以降、再び厳しい局面に直面しました。北米販売の低迷などが響き、日産の業績は悪化の兆しを見せ始め、2025年3月期の連結純損益は800億円の赤字に転落する見通しとなり、再建の道のりの厳しさを改めて露呈します。

さらに、2024年12月より水面下で進められていたホンダとの経営統合に向けた協議が破談に終わったことは、日産にとって大きな打撃となりました。これらの要因による経営の混乱を受け、内田氏は早期の辞任を示唆するに至ります。

そして、その言葉通り、内田氏は2025年3月には日産自動車の社長・CEOを退任しました。しかし、直後の2025年4月時点では、取締役として経営に残留し、引き続き一定の関与を続ける形をとっていました。

しかし、その残留も長くは続きませんでした。2025年6月には日産の取締役も退任し、これをもって内田氏は日産自動車におけるすべての役職から離れることとなりました。彼の経営者としてのキャリアにおいて、日産での激動の日々はここに終止符を打ったことになります。

考察:内田氏の功績と残された課題

内田さんの日産CEOとしての任期は、まさに激動の連続でした。就任直後の「トロイカ体制」の崩壊、前代未聞のコロナ禍、そして巨額赤字からのV字回復は、彼の並外れたリーダーシップと実行力を明確に示しています。

特に「NISSAN NEXT」の推進によるコスト構造改革と黒字転換は、日産を崩壊の危機から救った最大の功績と言えるでしょう。彼のリーダーシップは、まさに「火中の栗を拾う」覚悟と、それを実現させるための強い意志と実行力によって特徴づけられます。

しかし、足元の業績悪化とホンダとの統合交渉の破談、そして自身の辞任示唆は、日産の再建が依然として道半ばであり、グローバル市場での競争環境の厳しさが続いていることを浮き彫りにしています。

内田さんのリーダーシップの下で日産は大きな一歩を踏み出しましたが、持続的な成長を実現するためには、今後も抜本的な改革と新たな戦略が求められることになります。彼の功績は日産を最悪の状況から引き上げた点にありますが、その後の厳しい市場環境への適応と、企業としての最終的な安定成長への道筋を盤石にするという課題を残したと言えるでしょう。

  • ゴーン氏退任後の混乱収拾と経営再建
  • EV戦略「Nissan Ambition 2030」の発表
  • 全固体電池の開発推進・ソフトウェア重視の方向転換
  • ルノーとの資本関係見直しで自主性を確保
  • ホンダとのEV分野協業協議にも関与

詳細な経歴一覧(2025年6月時点まで)

年月経歴・役職
1991年4月日商岩井(現・双日)に入社
2003年10月日産自動車に入社
2006年4月日産 RNPO 主担(ルノー・日産購買組織)
2012年9月ルノーサムスン自動車(韓国)に出向
2014年4月プログラム・ダイレクターに就任
2016年11月常務執行役員(CVP)アライアンス購買担当
2018年4月専務執行役員/東風汽車有限公司総裁(中国事業)
2019年4月中国マネジメントコミッティ(MC CHINA)担当 専務執行役員
2019年5月MC CHINA 議長に就任
2019年12月日産自動車 代表執行役社長 兼 CEO に内定
2020年2月取締役 兼 代表執行役社長 兼 CEO に正式就任
2022年日本自動車工業会 副会長に就任
2025年3月日産自動車 社長・CEOを退任
2025年4月取締役として経営に残留
2025年6月日産の取締役も退任。すべての役職を離れる

内田氏の経営は「堅実・誠実」と評価される一方、回復スピードの遅さに対する批判もありました。しかし激動の時代において、日産の信頼を再構築した功績は大きいと言えます。

スポンサーリンク

まとめ

いかがだったでしょうか?今回は内田誠さんについて解説してきました。

内田氏の日産CEOとしての激動の経験は、彼にかけがえのないリーダーシップと知見をもたらしました。現在は公の場から退いていますが、その国際的な手腕と危機管理能力は、今後も社会の多様な分野で必要とされるでしょう。

財界での新たな役割、次世代を育成する教育分野、あるいは自身の経験を伝える講演活動や執筆など、どのような形であれ、彼が再び表舞台に登場し、その能力を惜しみなく発揮してくれることを大いに期待せずにはいられません。

参考・出典一覧

出典元ページタイトル
同志社人訪問内田誠さんに聞く
dot.asahiやはり「国境」はないスポーツ 赤道直下に近い街で 日産自動車・内田誠社長兼CEO
Wikipedia内田誠 (実業家)
日本経済新聞日産、経営陣を刷新 内田社長など5人中4人交代
毎日新聞日産株主ら新旧経営陣を猛批判 内田前社長は「座っているだけ」
スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
スポンサーリンク

この記事を書いた人

長年勤めた会社の正社員をやめてパートになった駆け出しパート主夫です。
日頃興味を持ったエンタメを中心としたニュースや疑問に思ったことをお届けします。このブログを読んで同じ興味や疑問に思った皆さんの役に立てたら幸いです。

コメント

コメントする

目次