今や俳優として確固たる地位を築いている天海祐希さん。
演技の内容や会見、インタビューでの振る舞いで
理想の上司は常に上位など多くの方々に憧れを持たれる天海さんですが、
あまり宝塚時代のことはお話にならない印象です。
なので宝塚時代の伝説的な凄さを知らない人はいるのではないでしょうか?
天海祐希さんのプロフィール
宝塚時代の伝説エピソードは何か?
宝塚時代をあまり語らないのは何故なのか?
これら疑問に思うことを調べていきたいと思います。
天海祐希プロフィール
宝塚歌劇団を退団してからの俳優としての活躍は皆さんの知るところです。
宝塚時代のエピソード
天海さんは宝塚音楽学校に首席で入学しています。
宝塚音楽学校の倍率は毎年高いことで有名です。
また受けに来る人たちはエリートばかりなのでその中で主席はそれだけでもすごいことですね。
様々な記録を塗り替える
ここから天海さんの伝説的なキャリアが始まるのです。
宝塚史上最速でトップスターに就任
天海さんは入団7年目(新人期間内)で宝塚史上最速でトップスターに就任しています。
どれくらい凄いことなのかは
通常トップスターへの就任は入団10年目以降から15年目あたりであることが多いとされています。
つまり100年を超える宝塚歌劇団の歴史の中で
ここまで早くトップスターになることはありえないことだということです。
入団1年目にして新人公演で主演したこと
新人公演とは入団7年目までの生徒で本公演と同じ作品を上演するというものですが、
これも通常は7年目近くで主演することが多く
1年目のタカラジェンヌが主役を務めることはまさに異例中の異例であり、
いかに天海さんが突出していることがわかりますね。
入団4年目までの間に6度も新人公演で主演している
天海さんは入団1年目にして新人公演で主演した後でも
入団4年目までの間に6度も新人公演で主演しています。
これも類を見ないスピードであると関係者からは驚きの声が当たっています。
「宝塚バウホール」での初主演は、入団4年目という異例の早さ
これも有名な話で
新人公演主演の次のステップとして
客席数500の小劇場「宝塚バウホール」での初主演がありますが、
通常は新人公演最終学年である7年目あたりに機会を与えられることが多みたいです。
それを天海さんは、入団4年目で達成されています。
トップ就任までの間に3度も主演していることも異例中の異例だそうです。
あの宝塚で最速や異例などが頻繁に使われる時点で
天海さんがどれだけ伝説のタカラジェンヌだったかがわかりますね。
参照元 yahooニュース “まるで嵐のような9年間” 天海祐希、タカラヅカ時代の伝説4選
活動以外のエピソード
これだけの実績があれば、普通では考えられないエピソードもあるものです。
メンタルが普通の人のそれではない
まずあれだけの実績を残せたのには天海さんの才能と努力はもちろんのことなのですが、
劇団も天海さんに対して「帝王教育」と表現できるぐらいのことを短い期間で密度の濃いものをした
参照元 yahooニュース “まるで嵐のような9年間” 天海祐希、タカラヅカ時代の伝説4選
とあります。
ただでさえ軍隊みたいに厳しいと言われるところで、このような表現になるということは
一般の人には想像を絶する厳しさだったのかもしれません。
想像しただけで震え上がってしまいます。
それを耐えて自分のものにしてしまった天海さんは普通の人ではないですよね。
演出家からありえない言葉をもらった
天海さんは宝塚音楽学校入学試験の時から目立つ存在で
宝塚歌劇団の演出家 植田紳爾さんが「お母さん、よくぞ生んでくださった」と
絶賛したことは有名な話です。
参照元 日刊大衆 天海祐希「入団10カ月で主役抜擢!?」宝塚時代の偉大すぎる“伝説”
なかなか人からこんな言葉をもらうことはないですよね。
ましてやエリート集団をいつも見ているであろう人から、こういう賛辞を受けるということは
いかに天海さんが特別であるかを物語ることでもありますね。
宝塚歌劇団の慣習までも変えた
天海さんは宝塚歌劇団の常識まで変えてしまった人物でもあります。
それは宝塚歌劇団の慣習で象徴である、トップスターの“大羽根”を背負うことをしなかったことです。
通常トップスターは豪華な羽根を背負うのですが、
天海さんは退団までそのような羽根を付けることはなかったということです。
常識にとらわれない
何か大きなことをした人は自分を信じて進んでいく強い意志を持っていると思います。
天海さんもそういう人なのでしょう。
退団まで続けているということは劇団も認めているということなので問題はないのでしょうね。
ヘアピンを使うルールを変えるための意見を取りまとめるリーダーシップを発揮?
テレビ番組の『ウチのガヤがすみません!』で語っていたことでは
当時、男役は髪の毛がハネないようにヘアピンを何十本もつけて固める規則があったみたいで、
それはとても恥ずかしいらしく、
天海さんは同期の方たちと話し合ってこれはしなくていいことと決めたらしいです。
他にも色々と決めたことはあるみたいですが、
このルール改正で多くの後輩たちが楽になったみたいですね。
天海さんの代で変わったことも話題になるのですからすごいですよね。
宝塚時代を多くは語らない理由
これだけの話題がありますが、どれも天海さん本人から語ったものではありません。
天海さんは宝塚時代を語らないことで有名です。
何故なんでしょうか?それは
宝塚時代のネガティブな情報を視聴者に知って作品を見てほしくない。
宝塚は多くの人が目指す素晴らしい場所で
そこで立たしてもらっていた自分が苦労話をするのはありえないこと。
自分にとって宝塚時代は大切なものであるので話すことによって思い出が薄まる気がする。
以上のことから天海さんは宝塚時代を語ることは少ないみたいです。
参照元 AERA dot.〈あのときの話題を「再生」〉天海祐希「私が宝塚時代のことをあまり語らない理由」 松下洸平とのバディ対談!
つまり天海さんは見てくれているお客さんのことを考えて、
純粋に作品を楽しんでもらいたいから、いらない情報を観客の人に入れたくなかったんですね。
またこれから宝塚に入ってくるであろう後輩たちに夢を持たせたいという気遣いも見て取れますね。
そして何より天海さん本人が若い時代に過ごした宝塚時代を大切にしたいという思いが
今日まで天海さんが宝塚時代を語ってこなかった理由となっていますね。
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は俳優の天海祐希さんの宝塚時代の伝説や驚きエピソード、
そして宝塚時代を語らない理由を解説してきました。
伝説になった偉業や驚きエピソードは保守的な私にとっては考えられないことばかりでした。
また天海さんが宝塚時代を大切に思っていることも嬉しく感じました。
まだまだこれからも活躍してくれると思いますし、またそれを多くの方が願っていると思います。
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