「佐久間宣行のNOBROCKTV」内でのドッキリ企画「【ツッコまれたい女たちリベンジ】トンツカタン森本を以前とまったく同じドッキリ企画で呼び出し、板倉先生操る女優と再対決させたらどうなる!?」において、既に森本さんがドッキリということが分かった上での演技を見事こなし切った山田かなさん。
最後には山田さんを通して板倉さんと森本さんが話をするという訳の分からない展開に!そんな山田かなさんですが、脱サラ&名門理系大学現役JDグラビアアイドルという珍しい肩書きで、2021年に25歳でデビューした方で、どういうことなのか気になる人もいるのではないでしょうか?
また学生時代はバレーボール部に所属をしていて、そこでのエピソードも子供には相当シビアなものであったようです。そこで今回は
- バレー部でのエピソードは?
- 大学入学の経緯は?
- 出身大学は?
以上について調べていきたいと思います。
プロフィール
名前 | 山田かな(やまだ・かな) |
生年月日 | 1995年9月27日 |
年齢 | 29歳(2025年1月時) |
出身地 | 千葉県 |
身長 | 156cm |
血液型 | A型 |
X | @maybe_yamada |
インスタグラム | maybe.yamada |
所属 | プラチナムプロダクション |
出身校一覧・大学は東京理科大学?
- 小学校・・・不明
- 中学校・・・不明
- 高校・・・・不明
- 大学・・・・東京理科大学?
山田さんの学歴についてはほとんど情報はなく、大学のみが明らかにされている情報から推測をされているようです。以下で詳しく見ていきましょう
小・中学生時代
山田さんは小学生の時にミニバスをしていたので中学生になってもバスケ部に入部したいと思っていたのですがバスケ部のメンバーは多くが身長が高くプレイのレベルも高かったため当時身長が低かった山田さんは自分には難しいと思い諦めています。
ただ何か球技はやって行きたかったため、そこで出来そうだと思ったのが自分とメンバーの身長があまり変わらなかったバレーボール部でした。
もちろんそこで初めて挑戦したバレーボールだったのでレシーブの練習をするたびに内出血をして腕は痣だらけだったようですね
ちなみに当時山田さんは体重は60キロぐらいあるがっしりした体型でしたが、運動神経は抜群だったようで中学時代の体力測定は3年間学校で一番だったそうですよ。
部活動も一年生の頃から試合には出場しポジションはセッターとしてチームの司令塔を任されていました。
苦労した部長としての役割
3年生になると部長をされるようになったのですが、山田さんの学年には6人の部員がいて、山田さん以外は金髪にしたり舌ピアスを開けてくるようなヤンチャな生徒でまともに部活動に出てくるのは3年生では山田さんだけという状態でした。
来ないだけならいいですが、その部員たちが学校帰りにゲームセンターに行ってバレた時には関係のない山田さんまで怒らることがあったようです。
ちなみにそれが山田さんにとってはバレー部時代の一番の思い出なんだとか。😢
そんな状態であったため顧問の先生もどんどん変わり最後にはバレー未経験の新任の先生と一緒に練習メニューを考えて活動をしていました。
試合の思い出もあまりないようで、最後の夏の大会も2回戦負け終わったようですが、その試合には一応来た、ヤンチャな部員たちも終われば軽い感じですぐに帰り、あっけなく山田さんのバレー部の活動は終わったということです。
そんな不遇な部活動でしたが、そんな経験ができたことは今では結果としては良かったと思え、その分上級生と下級生とのやり取りは凄くよくしてもらえたと思えたそうです。
高校時代
高校生になった山田さんはバレーボールや他の部活での活動は諦め、家計の事情で学費を稼ぐためにアルバイトに力を入れていました。
何でもラーメン屋・ファーストフード・コンビニの3つを掛け持ちしていたんだとか。
実は中学のバレー部時代もシューズを変えるお金がなかったため、同じものをボロボロでもずっと使い続けていたそうですよ。Σ(・□・;)
社会人時代
高校を卒業した山田さんはフリーターみたいな生活を送っていたようですが、当時母親が大病を患い姉から正社員になって母親を安心させるよう言われ、スポーツ用品の営業の仕事に就くことになります。
そこでは営業成績のいい人のそばで、その人がやっていることをメモをして、どういう話術を駆使しているのかを参考にしながら真似することもありました。
その努力の甲斐もあって入社一年目で営業成績位置を撮るなどの結果がついてきています。単純に凄いことですよね。
偏差値28からの猛勉強 大学
出身大学・・・東京理科大学?
山田さんは偏差値64の名門理系大学に入学していることがインタビューからわかっているので、それに近い大学や文字通りの理系大学のイメージを優先すると同大学ではないかと推測されます。
ただ完全に明らかにしているわけではないので、あくまで参考程度に考えたほうがいいと思われます。
大学進学までの道のり
先述したように営業で1位を取る成績になったのですが、同時に会社で働いていくモチベーションが下がったというマイナスの気持ちも生まれました。
また嫉妬からか、妬まれることもあったこと、他のジャンルにも挑戦したいという気持ちもあったことから、現役では行くことができなかった大学への挑戦を考え始めています。
当初は仕事をしながら勉強をしていたのですが、ある時に「撮影会モデルをやりませんか?」と声をかけられたことをきっかけに、このアルバイトをしながらの方が時間がとれ、勉強に集中できると感じたことで、会社を退職しています。
その後半年は自力で勉強していたのですが、限界を感じ、予備校に通い始めましたが、最初の英語の模試は偏差値が28だったんだとか。
しかしそこからは猛勉強の末に偏差値64の名門理系大学に入学を果たしています。
最終的には教科によっては偏差値が70ほどあったようなので、もっとできたのではないかと本人は納得はしていないそうです。
芸能活動も並行して行っていた
先述したように山田さんは撮影会モデルをしていたのですが撮影をしてくれるお客さんはいつも決まった2人だけだったようです。
ただその2人は熱心に山田さんを応援してくれて片方が撮影会に行けないときはもう片方が2人分頑張るとのやり取りを事前にしていたほどでした。
そんな感じの撮影が続いていたある時に、関係者の人にDVDの出演を打診されたことがきっかけでファーストDVD「どうかな?」を発売しています。
それをきっかけに人気がでて、そこからは撮影会が決まれば一瞬で枠が埋まるほどだったそうです。
その後、芸能事務所に所属をして、グラビア活動を中心に活動をし、オファーがあればどんどん仕事を入れていたため、大学の授業に影響が出ていた時もあったようですよ。(笑)
人物像
山田さんはグラビア活動を中心に活動をしていますが、体型維持には気を付けていて、そこでモチベーションをあげるために見ているのが、フィジーク選手の画像を見ることだそうです。今では筋肉オタクとしても知識が豊富なんだとか。
フィジーク・・・逆三角形の体形を競う競技
特に直野賀優選手のファンと公言していて、「あの圧倒的なバルクが。」とその熱意が伝わります。
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回山田かなさんについて解説してきました。
- バレー部時代はヤンチャな同級生に振り回された
- 就職した会社で営業成績1位を達成したことで更に新しいことに挑戦しようと思った
- 撮影会モデルを継続しながら偏差値28から偏差値64の名門理系大学に入学
- 大学生活と並行して芸能活動を続けていた
現在はグラビア活動を続けながら、お芝居をしてみたいとのこと、勉強では点数に現れるが、演技は正解がなく、抽象的なところが深く毎回手探りで、そこが面白いそうです。
伊藤沙莉さんの声の質感がすきで、自分の声質が近いことから、憧れ、将来会えることを願い頑張っています。大学入学を果たした根性があれば、これからの活動も明るいものになるのではないでしょうか?今後の彼女の活躍が楽しみですね。
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