バラエティ番組「マツコの知らない世界」の企画で「国産タケノコの世界」を紹介した
100年続くタケノコ農家の3代目夫婦の山本由人・忍夫妻。
国産タケノコの知らない秘密や、新鮮なタケノコの見分け方などを紹介し、
またタケノコ農家のリアル生活についても明かしていました。
そして、家庭でもできるタケノコレシピも披露し、タメになる話も多くあったのではないでしょうか。
今回はそんな山本さんのことについて調べていきたいと思います。
山本由人・忍夫妻(山本筍) wiki|活動内容
山本さんは、現在、夫の由人さんの生まれ故郷である
山口県下関市でタケノコ農家として活動をしています。
山本さんは約100年にわたって続く、たけのこ栽培を祖父から受け継ぎ、
これまでタケノコの生産に情熱を注いでいました。
現在は妻の忍さんと共に4人の子供を育てながら、1町歩の広さの山でタケノコ農業を営んでおり、
特に土から出る前に掘り出すたけのこの中でもひときわ白い、
100本に1本あるかないかと言われる幻のたけのこ「白子(しろこ)」と
呼ばれる希少なタケノコの栽培に力を入れています。
ホームページでは筍の販売をし、福岡をはじめ、関西、関東のレストランや和食料理屋が
その質の高い筍を求めて注文が入るようですよ。
山本さん曰く、「どれ一つとして同じたけのこはない。手をかけた分、たけのこが良くなるところがたけのこの魅力。奥が深い。」と語っています。
山本由人・忍夫妻(山本筍) wiki|人物像
山本由人さんは下関市生まれで、幼少期からタケノコ掘りを手伝いをしていたようです。
祖父は筍を愛していて、その栽培方法は隣の福岡県から教えを乞うほどの名人でした。
高校生になると親元をを離れ、神奈川県の学校に進学しています。
卒業と共に地元に帰ってきていますが、19歳の時にサーフィンに魅了され、千葉県へ。
地元に帰ってきてからもサーフィンをするために
サーフボード作りの手伝いや修行の毎日であったようですよ。
サーフィンでは海外遠征もすることがあったようで、
そんな時には実家の筍掘りで資金を貯めていたようです。
祖母が高齢で山仕事が出来なくなってきたことをきっかけに山を継ぐことに。
2011年に妻の忍さんと結婚をし、二人で山を守っています。
ちなみに妻の忍さんは最初は訳も分からず言われた通りに作業するばかりで、
子育ても重なり、先行き不安なまま作業をしていたようですが、
数年たったある時に初めて白子(しろこ)を食べさせてもらった時、
涙が出るほど美味しかったんだとか。
その時に今までの苦労は無駄ではなく、より一層筍栽培に励むようになったそうです。
今では4人の子供たちも手伝ってくれることもあるようですよ。
現在では祖父の意志を継承しつつ、サーフボード作りでお世話になった師匠の亡き後、
サーフボードを削るシェイパーという仕事もしています。
参照元 shimo-maru 王喜タケノコ部会 やまもとたけのこ代表 山本由人さん 山本忍さん
pref.yamaguchi ローカル山だより/ローカル山だより・たけのこ生産者(下関市)が雑誌の取材を受けました
山本由人・忍夫妻(山本筍) wiki|まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は「マツコの知らない世界」で紹介された山本夫妻について解説してきました。
今では新しいことにも挑戦し、コロナ禍でたけのこの市場価格が下がってしまった経験から、
ただ出荷するだけではなく、たけのこを使った商品開発に乗り出し「竹の子ご飯の素」を商品化、
キッチンカーを導入してイベントなどに出店と精力的に行動しています。
キッチンカーでは茹でたけのこに味をつけて揚げる「フライドたけのこ」は好評みたいですよ。
これからの二人のさらなる活躍を応援していきたいですね。
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