2024年の夏に行われたパリオリンピックでは多くの人が魅了され、
感動したことは記憶に新しいことですが、
その中で新種目として初めてオリンピック競技として取り上げられた「ブレイキン」。
そして、その代表となったのは若き有望な大能寛飛(おおのひろと)選手で
その若さから大きな話題となりました。
オリンピックでの結果は残念ながら、1次リーグ敗退となってしましましたが、
その若さ溢れるスタイルとプレーは観客を大いに沸かせました。
そして競技終了後のインタビューではオリンピックの舞台に立つまでに
お世話になった人たちに感謝を述べ、改めてこの競技のすばらしさを実感したようです。
今回はそんな大能寛飛さんについて調べていきたいと思います。
HIRO10 wiki|プロフィール
名前 HIRO10(ひろてん) ダンサー名
本名 大能寛飛(おおの・ひろと)
生年月日 2004年12月03日
年齢 20歳(2025年1月時)
出身地 石川県金沢市
身長 ?cm
血液型 ?型
インスタグラム bboyhiro10
所属 「JINJO CREW」(韓国)
HIRO10 wiki|名前の由来
ダンス名のHIRO10ですが、当初は本名のと同じ呼び方の「ひろと」だったようです。
しかし、海外を拠点にしだしてから、周りは呼び方が分からず「ヒロテン」と呼ばれ始め、
大能さんもあまりにその呼び名でずっと呼ばれるので、
最後にはそちらに合わせたということになったようですよ。
参照元 ニートtokyo HIRO10 : 自己紹介〜名前の由来
HIRO10 wiki|身長・血液型は?
大能さんは身長を明らかにしていませんが、
半井 重幸(シゲキックス)さんと並んだ時の写真を見ると少し低いことが分かり、
半井さんが166cm(公式ホームページ)であることから、
恐らく160cm前後ではないかと推測されます。
血液型は公表されていませんでした。わかり次第追記したいと思います。
HIRO10 wiki|学歴
出身小学校は中学校の校区から
- 金沢市立中央小学校
- 金沢市立明成小学校
- 金沢市立馬場小学校
以上のいずれではないかと推測されます。
出身中学・・・長町中学校(旧小将町中学校)
出身高校・・・私立北陸学院高校(石川県)
中学・高校は各メディアで明かされていることから間違いないでしょう。
HIRO10 wiki|経歴
大能さんは、幼い頃に水泳・サッカー・空手と多くの体験をしていますが、
どれも自分には合わなかったようです。
そんな時、妹の通うダンス教室を見学に行ったことがきっかけで、
小学校4年生時の9歳でブレイキンを始めています。
インスタグラムでは幼少期から始め、踊っている様子が多く投稿されていますよ。
小学校5年生時には両親の里である京都に帰省していた時に大阪のOCATで練習していた時に、
ダンスチーム「Gun Smoke Breakers」メンバーにチームの練習に誘われ、
メンバーとなっています。当時小学校5年生でした。
中・高時代は大活躍!
その後、県外のチームとの練習や地元での活動を重ね、ついに、中学校3年生だった2019年、
中国で開かれた国際大会「Bomb jam powermove」で初優勝を飾り、
国内トップクラスの選手として認知され始めます。
高校生になってからは2021年の「高校生ダンスバトル選手権」で優勝をはじめ、
さらなる飛躍を求めて欧州に渡り、オランダを拠点に約三週間ダンスをするなど、
その向上心はとどまることはありませんでした。
高校卒業後
海外での活動がよっぽど刺激になったのか、
高校卒業後はヨーロッパを中心に単身で海外へ渡り武者修行を開始しています。
そして、各大会で好成績を残しながら、ついには2023年、
ブレイクダンス世界最高峰の大会「FreeStyle Session World Final」で優勝と
名実ともに日本を代表する選手へとなっています。
主な成績
2019 | 「Bomb jam powermove」国際大会初優勝 |
2021 | 「高校生ダンスバトル選手権」優勝 |
2022 | フランスの名門バトル『Break The Floor』優勝 |
2023 | 『Nothing2Looz』優勝 数々の国際大会を制す ブレイクダンス世界最高峰の大会「FreeStyle Session World Final」優勝 |
2024 | ジャパン・オープン優勝 全日本選手権2位 |
HIRO10 wiki|家族の支え
今や日本を代表する選手となった大能さんですが、その裏には家族の支えがあったからこそでした。
父親は美容室を営んでいますが、練習場所を確保するために営業終了後は仕事場を片付け、
大能さんのための練習スペースをいつも確保してくれていたようです。
また父親はブレイキン未経験ながら共に技の研究を重ね協力してくれていたようですよ。
子供では理解しにくい解説も、わかりやすいようにかみ砕いて、大能さんに伝えてくれていました。
大能さんもそんな父親がいたからこそ、ここまでこれたのだと、いつも思っていて、
結果を残すことで、その恩返しをしたいと考えていたそうです。
なので、ダンスのために学校行事は我慢し、将来の海外での活動を考え、勉強をしていたんだとか。
今ではその父親が自分のパフォーマンスで喜んでくれるのが、モチベーションになっているようです。
参照元 金沢経済新聞 金沢市出身の大能寛飛さんがパリ五輪ブレイキン出場 「石川を元気づけたい」
中日新聞 17歳ブレイクダンサー・大能さん 高校生大会V 着実に実績
fnn 「美容師の父を喜ばせたい」パリ五輪 ブレイキン代表 大能寛飛選手に密着
bijotodance ダンスチャンネル 第6回高校生ダンスバトル選手権 6代目チャンピオンhiro10にインタビュー♪
HIRO10 wiki|まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は大能寛飛さんについて解説してきました。
オリンピックでは残念な結果となってしまったかもしれませんが、
その感動は確実に次につながっていたようで、バリュエンスジャパン株式会社と
2024年9月25日、スポンサー契約を勝ち取っています。
まだまだ若く、これからも期待できる選手ですので、これからの活躍にも要注目です。
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