ドラマ「君の花になる」でボーイズグループ・8LOOM(ブルーム)のメンバーをを演じ、
ドラマ「パリピ孔明」では天才ラッパーとしてライブパフォーマンスも披露した宮世琉弥さん。
2023年からは本格的に音楽活動をスタートさせ、表現者としてだけではなく、
作詞作曲にも取り組みはじめ、
「Ryubi Miyase」としてメジャー1stアルバム『PLAYLIST』をリリースしています。
そんな宮世琉弥さんですが子供の頃や学生時代はどんな人物だったのでしょうか?
今回は宮世琉弥さんの
学歴は?
学生時代のエピソードは?
以上について調べていきたいと思います。
宮世琉弥の出身高校はどこ?|出身校一覧
- 小学校・・・不明
- 中学校・・・東松島市立矢本第一中学校
- 高校・・・・堀越高校
- 大学・・・・進学せず
宮世琉弥さんの出身校は上記の学校が噂されています。
下記で詳しく見ていきましょう。
宮世琉弥の出身高校はどこ?|小学校時代
出身小学校・・・不明
宮世さんの出身小学校は判明していませんが、後述する中学校の校区から
東松島市立矢本東小学校
東松島市立矢本西小学校
東松島市立大塩小学校
のいずれかではないかと推測されています。
幼少時代のエピソード
宮世さんは小学一年生の時に東日本大震災で被災しています。
残念ながら住んでいた家は全壊し、飼っていたペットは被害にあってしまいましたが、
家族は何とか無事であったようです。
当時のことは鮮明に覚えていて、載っていた車が流され、生き残ったのは偶然であると
詳しく語っていましたが、おそらく想像を絶するものであったと考えられます。
震災後は転校をしなくてはいけなかったのですが、それ以来、
当時暮らしていた場所を訪れることは、つらい記憶を思い出すため、ほぼなかったようです。
俳優になろうと思ったきっかけ
震災から4年後の2015年3月に宮城県女川町で開かれた「復興祭」に家族で訪れた際に、
アイドルグループ「ももいろクローバーZ」のパフォーマンスにより、
多くの人たちが喜んで笑顔になっていくのを見た時に
「自分も周りの人たちに影響を及ぼす人になりたい」想いが強くなり、
ショッピングセンターでのスカウトをきっかけに芸能界に進んでいます。
尊敬する父親の存在
宮世さんは幼少期から父親のことを尊敬する人物に挙げており、
基本的に応援をしてくれ、
現在の仕事の面接時には「この仕事をやっていくのだという意識をちゃんと持って、
周りに流されるな。やるならちゃんとやれ。絶対に受かれよ」と
明確なアドバイスと教えを与えながら応援してくれ、
それが宮世さんにとっては的確であり、
しっかりと意思を持つことや考えることができ、頑張れたそうです。
また父親の仕事をしているときの礼儀やマナーを含めたすべての振る舞いに衝撃を受け、
勉強になり、さらに尊敬の念が強くなったようですよ。
なので父親の性格である
やると言ったことは必ずやり通す曲げないポリシーをも受け継ぐことも。
一番のファンである父親
そんな宮世さんの父親ですが、今では宮世さんの出演しているものはすべて録画・チェックをし、
自分がドライブをするときには宮世さんや同じく芸能活動をしている
妹の女優・アイドルの伊達花彩さんの楽曲でプレイリストを作ったものを流しているそうです。
宮世さんの父親に対する尊敬の念が
一生懸命に全力で応援する要因となっていることは間違いないでしょうね。
小学生時代は野球に夢中
宮世さんは小学生の頃には楽天ジュニアに所属をし、
楽天の選手たちと一緒に練習することもあり、初めはもちろん緊張しましたが、
キャッチボールを始めとした練習をしていい思い出になっているようですよ。
小学校の卒業式は服装が自由であったため、袴を着て出席をしました。
参照元 newsdig.tbs 宮世琉弥「戻れるなら…いつかここに」 7歳で被災、俳優になって叶えたい夢
マイナビニュース 宮世琉弥、苦手と思っても「まずはチャレンジ」“恩返し”の人生設計とは
cancam 子どもの頃から大好き!宮世琉弥さんが沼るマンガの世界♡
宮世琉弥の出身高校はどこ?|中学校時代
出身中学校・・・宮城県 東松島市立矢本第一中学校
この学校の出身であることは
思い出コミュニティサイト「思い出こみゅ」に掲載されているので有力ではないかと思われます。
また以前に投稿されたSNSでの制服から推測もされているようです。
中学時代のエピソード
中学に進学した宮世さんは真面目に学生生活に取り組んでいました。
制服は学ランでしたが、校則が厳しかったこともあり、クラスメイトのみんなもきっちり着こなし、
アレンジする人もいなかったようで、成長を見越して大きめのものを用意していましたが、
卒業間近にはギリギリであったとも。(笑)
部活動はバレーボール部に所属をしていましたが、仕事で東京と往復の生活であったため、
余り参加はできなかったようですが、部活動が一番の思い出として残っているようです。
モテた、でも失敗した卒業式
中学での学生生活は卒業間近まで芸能活動が忙しく、式での歌の練習はできなかったようです。
いざ本番では雰囲気で歌っていて、
慣れてきたところで大声で歌ったら思いっきり間違えるという失敗も。
その失敗は母親が撮ったホームビデオにしっかり残っていたそうですよ。(笑)
また卒業式定番の制服ボタンについても話していて、
家に帰って母親が驚いていたことから、おそらくすべてなくなっていたのでしょうね。
当時はボーカルダンスユニット「M!LK」で活動していたこともあり、
後輩からは写真をねだられることも沢山言ってもらい、思い出に残る卒業だったようです。
参照元 モデルプレス 宮世琉弥、卒業式で赤面したエピソード明かす 制服のボタンの行方は?
ellegirl 宮世琉弥の“ウラオモテ”に迫る!『恋わずらいのエリー』撮影ハプニングや綱啓永との共演、モテエピソードを公開
宮世琉弥の出身高校はどこ?|高校時代
出身高校・・・東京都 堀越高校
この学校の出身であることの根拠となる情報は見つけられませんでしたが、
地元から上京していることとネット上では同校の名前が多く上がっています。
わかり次第追記したいと思います。
高校時代のエピソード
宮世さんは高校進学時に地元の宮城県から上京をしています。
高校生活も芸能活動が忙しかったこともあり、学校に通うことは難しかったようで、
単位や授業に追いつくために職員室の個室で別に授業やテストを受けていたそうです。
当時は体育は得意で、幼少期にはそろばんをやっていたこともあり、
数学は好きであったそうで、逆に国語は苦手であったみたいですね。
宮世琉弥の出身高校はどこ?|宮世琉弥プロフィール
苗字の「宮世」は芸名なのですが、“宮城から世界へ”との思いが込められ、
ファンからもらった名前であり、名前負けしないように精進しているようです。
先述したように被災を経験したことから「3.11を風化させたくない」との思いから
当時の記憶や思いを発信していくことを考えていて、
将来は震災をテーマに自分で映画を作りたいという夢を持っています。
そのために今できること、出演作品に全力を出すということに力を注いでいて、
宮世さんの母校を訪れた際にはあっという間に子供たちに囲まれ、
みんな宮世さんが地元の先輩であることを知っているなど、
確実にその夢には近づいているのではないかと感じます。
newsdig.tbs 宮世琉弥「戻れるなら…いつかここに」 7歳で被災、俳優になって叶えたい夢
宮世琉弥の出身高校はどこ?|まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は宮世琉弥さんの学歴と学生時代のエピソードについて解説してきました。
近年ではレギュラー出演も増え、主演作品も控えている人気若手俳優ですが、
宮世さんの目標である震災の映画を作る夢にむかって
さらなる活躍を期待して応援していきたいですね。
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